深い眠りについても急に目が覚めてしまうことがある。
胸の中にしまっていたはずのものが綺麗に消えてしまうのを想像して僕は自分の腕を見つめたまま暗闇の中で息をした。耳にかすかに残る小さな寝音が少しずつ鼓動をゆっくりとさせていく。肌で感じる小さく脆い小鳥のような体をもう一度だけ強く抱きしめた。

「・・・・おきちゃった?」
「・・・うん、おきちゃった。」

くったりしたの瞳が僕を写すと悪戯そうに笑う。それを見たらたまらなく心が痒くなった。僕の固い腕の中で抱きとめられたままのはつたない指で目元をこすりながらあくびをひとつした。

「ごめん、お父さんがおこしちゃったんだね。」
「おとうさんは、どおしてねむってないの?」
「・・・わかんない。目が勝手にあいちゃった。」

そうなの?

真ん丸いの目が僕から離れることは無い。のちっちゃな鼻と僕の鼻がこすれてしまうほど近くで喋っているのに月が雲で隠れてしまって暗くて相手の表情が上手く見れない。こんなことでさえ歯がゆい。が「おとうさん」と一言呟くとようやく僕はがここにいるのだと確認する。糸よりずっと細くアジア人らしいつやのある髪の毛が指の間をすり抜けても、掬った砂のように落ちていってしまいそうで瞬きするのを忘れて僕は手のひらを見つめる。ほのかに香る柔らかい香りを深く深く吸い込んでも、僕の血と汗とに混ざって消えていってしまう。こんなそばにいるのに、どんなに暖かいからだがあっても僕は、安心して寝付くこともままならない。
怖い。
心臓をやけに速め、血の巡りが悪くなっていく。全身が真っ青に染められてしまいそうだ。

「おとうさん」
「なあに。どうしたの。」
「・・・あのね、」
「うん、なあに?」
「わらわないでね?わらっちゃだめ、だからね?」
「うん、いいよ。笑わないから教えて?」
「えっとね・・・・・ふふぅっ」
「あっなにそれズルイ。先にわらってるのはのほうじゃないか。」
「だってだってはずかしいもんっ」
「えーなになに?はやくおしえてよお父さんにも。」

急かす僕とは反対に、は言い出す言葉を開けたままの口に閉じ込めて笑い出した。ひっそりとした寝室にの声が響く。ラムネソーダの中で揺れるビーダマのような、カランカランと陽気に転がる明るい声。月明かりでうっすら と照らされた部屋はカーテンを閉めずにその光を一心にうけて、そのせいか僕との顔が浮き上がってきている。目が慣れてきているのかもしれない。

「あのねっ・・・おてて、つないでもいい?」

とたんにはしゃぐように僕の胸元に顔をうずめては言った。僕のパジャマで篭った声は恥ずかしさと期待が含まれているようにわずかに震えて聞こえた。僕は込み上げてくる笑みをそっと俯いたままのの方へと向ける。

「いいにきまってるだろう。」

僕の掌がの手を覆うとが顔を上げて安心したような柔らかい笑い方をした。は、体も頭も手も指も爪も僕の遺伝子が本当に入っているのか疑わしいほど小さい。だから僕のに触れる力は本当に微々なもので、いつもいつも加減を間違えてしまいそうだ。そんなことをしたら潰れちゃいそうで壊してしまいそうで、いや、この子は列記とした人間だから、修理できない。死んでしまったらどうしよう。そんなやけに飛躍した考えばかりが募ってしまうのだ。これって親ばかのうちに入らないよね?

「おとうさんのてつめたいね。」

が僕の骨でごつごつしている手を見て不思議そうな顔をしている。この子の神聖なもののような手とは違って汚い僕の手。 不意に言い出された言葉に僕はなんとなく、手を緩めそうになった。この子の手と並んでいると僕の手がやけに大きく見える。 こういうとき子供と大人の差がはっきりするものだ。

「そうだねぇ、昔からなんだよ。」
「なんでなんで?」
「さあ、どうして何だろう・・・。」
「・・・ようちえんのときから?」

僕は少しだけ過去の記憶に集中してみることにした。残念ながら僕の生涯にのような顔つきではしゃぐ姿は見つけられないだろう。

「それは覚えてないなあ。中学生のときもこのくらいだったのは覚えてるんだけど。」
「さむくなかったの?」
「寒かったときもあった、かな。あんまり昔のことは思い出せないや。」
「おとうさん、いっつもいっつもさむくて、だいじょうぶだったの?ないちゃわなかった?」

ああ、ごめん。
僕はこっそりとにさえ聞こえないような声で謝った。僕の心にだけ響くのがわかる。
のまっすぐな眼差しは、僕に本当に似ていない。僕は笑ってしまいそうになる。なんていい子なんだろう。なんてかわいいんだろう。 この子はこんなに一生懸命なのに、僕は頬を緩めずにはいられない。
君は誰に似たんだろうか。


「どうして泣いてるの?」
「だって、だっておとうさんかわいそう。だってわたし、こわかったんだもん、おててつめたくて、おとうさんのてにぎりたくなったもん。」

ねえ、だれに似たのかな。
こんなにも怖がりで、優しくて、馬鹿みたいに臆病で、僕のこと慕って、誰に似てしまったんだろうね。




「うん、でもね。お父さんは、寂しくなかったよ。」
「そうなの?」
「だって、お父さんの手はね、ちゃんと暖かい手が握ってくれてたんだもの。」



の真ん丸な瞳がピカピカと電球みたいに光って、次第に頬を伝っていく。僕はそれを掬うように人差し指の腹でなぞった。この子の幼い顔にどことなく面影が見つかったような気がした。







「いまだってそう、の手がぽかぽかしてるから平気なんだよ。」










密やかに交わされた暗がりの中の会話は全て闇の奥へと溶けていってしまうというのに、僕は目覚めたばかりの苦しい心臓の音を再び感じることはなかった。握られた小さなちいさな真白い手が僕のごつごつと岩のように冷たい手を温めていくだけで、何かが溢れてしまいそうになる。(ああほんとうだ、泣いちゃいそうだ)布団のなかで繋がれた僕と僕の娘の指先は次第に同じくらいの温度を保つようになってゆったりとその日を終えていった。



僕の指の間からほんのすこし覗くこの子の小さな手が、ずっと、ずっと暖かいままでありますように。
いつか、優しすぎるこの子を暖めていてくれる存在がありますように。



この手が


  つくりあげたものすべて

「お父さん、あったかいね」


いまだけは、僕が守っていてあげたい。だめかな。

















企画参加させていただきました。